映画名作

映画の名作ランキング(世界の映画監督による投票)

世界の映画監督が選んだ「史上最高の名作映画」(オールタイム・ベスト50)のランキングです。 イギリス映画協会が2012年に実施。 世界各地の監督358人による投票を集計しました。不朽の名作や歴代の超有名な傑作がそろっています。 日本の「東京物語」が堂々の1位に輝いています。 (これとは別に、映画評論家によるランキングも集計・発表されています)。 同協会では1952年以降、10年ごとに調査をしています。 (キネヨコ/Haghefilm Foundationの評判)

1位は日本映画「東京物語」

2012年のランキングでは、 日本映画「東京物語」が1位に輝きました。 戦後間もない日本を描いた小津安二郎監督の傑作家族ドラマです。 2002年の選考では16位でしたが、一挙に順位をあげました。 前回1位だった「市民ケーン」をやぶり、トップになりました。 2位は「2001年宇宙の旅」、3位は「市民ケーン」でした。 日本映画では、東京物語のほか、黒澤明監督の「七人の侍」(17位)と「羅生門」(18位)が上位に入りました。

■ トップ10
順位 作品名
(公開年、国)
解説
東京物語

(1953年、日本)

東京物語

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U-NEXT→
小津安二郎監督。主演:笠智衆、原節子。

戦後の東京の下町が舞台。 広島から上京してきた両親を、それぞれ独立した子供たちが迎える。 しかし、息子・娘たちはそれぞれ仕事や家事があって、両親の世話ができない。 そうしたなか、戦死した二男の嫁だけが温かくもてなす

原節子が演じるこの次男の嫁が物語の主人公である。 未亡人。再婚はせずに一人で暮らしている。 心優しい性格の持ち主。血のつながりのない、この嫁だけが、老夫婦を心を込めて迎え、接するのだった。

全体としては格調高い悲劇的な作品である。 老いと死によって親と子が別れてゆく悲哀と、その別れを深い思いやりと礼節をもって耐えなければならないというモラルがある。 泣かせ、感動させる。

日本的で海外では理解されづらいだろうという予想に反して、海外での熱心な愛好家を増やし続けている。 本ランキングを主催した英国映画協会は東京物語について「その技術を完璧の域に高め、家族と時間と喪失に関する非常に普遍的な映画を作りあげた」と評した。 批評家が選ぶ「ベスト」でも、3位だった。

小津安二郎監督は1903年、東京・深川生まれ。1923年に松竹キネマ蒲田撮影所に入社、1932年製作の「生れてはみたけれど」が、「キネマ旬報」1位に選ばれた。 日中戦争に従軍、戦後は「晩春」「麦秋」「東京物語」等を発表し、溝口健二や黒澤明とともに、日本映画全盛期の巨匠といわれた。1963年12月、60歳の誕生日に死去した。

【長さ】2時間16分
【国内配給収入】1億3165万円
【監督】小津安二郎
【主演】笠智衆、原節子
【助演】東山千栄子、香川京子、杉村春子、山村聡ほか
【脚本】野田高梧、小津安二郎
【配給会社】松竹
「2001年宇宙の旅」

(1968年、アメリカ)

2001年宇宙の旅

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U-NEXT→
スタンリー・キューブリック監督によるSF映画の金字塔。コンピューターが知性と感情を併せ持つようになる近未来を描いた。

 太古の時代、猿人たちの目の前になぞの石柱モノリスが出現。それに触れた猿人は骨を道具や武器として使うことを知る。時代は変わって月面に人類が住むようになった現代。月のクレーターで再びモノリスが発見される……。  「ツァラトゥストラはかく語りき」の調べが流れる中、宙へ投げ上げられた骨が鮮やかに宇宙船へと形を変えるあまりにも有名なシーンをはじめ、脳みそをかき混ぜられるような衝撃を何度となく体感。半面、物語は見るたびになぞが増える。  これほど考えることに挑戦したくなる映画はない。

2年の製作期間の予定が、4年もの歳月がかかった執念の大作である。 キューブリック監督は映画製作において一切の妥協を許さぬ完全主義者として有名。マスコミのインタビューを断り、映画界の知人との交友も避ける、一種の“世捨て人”としても知られた。

【長さ】2時間22分
【興行収入】1.4億~1.9億ドル
【監督】スタンリー・キューブリック
【主演】キア・デュリア
【脚本】スタンリー・キューブリック、アーサー・C・クラーク
【配給会社】MGM
【受賞歴】アカデミー賞 特殊視覚効果賞
「市民ケーン」

(1941年、アメリカ)

市民ケーン

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オーソン・ウェルズが監督・共同脚本・主演で製作。 若干25歳にして劇団マーキュリー・シアターを主宰する俳優で演出家の天才オーソン・ウェルズが製作の全権を握り、劇団ごとハリウッドに乗り込んで演出した映画史上に輝く一本。

【長さ】1時間59分
【監督】オーソン・ウェルズ
【主演】オーソン・ウェルズ
【脚本】ハーマン・J・マンキーウィッツ、オーソン・ウェルズ
【配給会社】RKO
【受賞歴】
・アカデミー賞 脚本賞
・ニューヨーク映画批評家協会賞 作品賞
・米国映画批評会議(ナショナル・ボード・オブ・レビュー)作品賞
「8 1/2」
(はっか にぶんのいち)


(1963年、イタリア、フランス)

8 1/2

予告編→
フェデリコ・フェリーニ監督。主演:マルチェロ・マストロヤンニ。 夢と幻想が渾然一体となったいくつかの物語から、創作活動に行き詰まった映画監督の苦悩が語られる。フェリーニの私映画ともよぶべき心象風景が自由奔放な映像で表現されている。
「タクシー・ドライバー」

(1976年、アメリカ)

タクシー・ドライバー

予告編(Amazon)→
マーティン・スコセッシ監督。主演:ロバート・デ・ニーロ。

スコセッシ監督の名を世界に知らしめた傑作。ニューヨークを舞台に、鬱屈したタクシードライバーの狂気を描いた。 デ・ニーロが、精神的に不安定で、孤独なベトナム帰還兵のタクシー運転手を巧みに演じている。

カンヌ映画祭の作品賞(パルム・ドール)受賞。 売春婦アイリス役のジョディ・フォスターは13歳でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされた。 バーナード・ハーマンの音楽が、デ・ニーロの陰影に富んだ演技を引き立てている。
「地獄の黙示録」

(1979年、アメリカ)

地獄の黙示録

予告編(Amazon)→
フランシス・フォード・コッポラ監督。主演:マーロン・ブランド。 コッポラが望んだのは、近代戦争の恐ろしさを大画面でリアルに再現し、その臨場感を観客に味わってもらうことだった。撮影では光と闇との対比をうまく使い、自然と戦うことの愚かさ、戦いの無意味さを訴える。
「ゴッドファーザー」

(1972年、アメリカ)

ゴッドファーザー

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フランシス・フォード・コッポラ監督。主演:マーロン・ブランド。 マリオ・プーゾのベストセラー小説を映画化。それまでの暗黒街ギャング映画とは全く異質のスタイルを持ち、一種、悪魔的な映像美やスケールの大きな人間ドラマ、残酷なアクションとは対照的な甘美なニーノ・ロータの音楽などで観客を魅了した。
「めまい」

(1958年、アメリカ)

めまい

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アルフレッド・ヒッチコック監督。主演:ジェームズ・ステュアート。 映画関係者の間で特に人気の高いサスペンスの傑作。前半は、高所恐怖症の元刑事が美しい人妻自殺の目撃者に仕立て上げられるまでをロマンス映画のごとく描き、後半ではその元刑事が死んだはずの人妻にそっくりな女性と出会ったことから真実を突き詰めていくまでを心理劇風に映し出す。
「鏡」

(1974年、ロシア)

鏡
アンドレイ・タルコフスキー監督。主演:マルガリータ・テレホワ。 タルコフスキーの記憶の機能にまつわる一連の作品の中で、最も抽象的な作品。自身の幼少期のエピソードを基に作られた。
10 「自転車泥棒」

(1948年、イタリア)

自転車泥棒

Amazonビデオ→
ビットリオ・デ・シーカ監督。主演:ランベルト・マジョラーニ。 終戦直後のイタリア、やっとビラ貼りの職にありついた男が、商売道具の自転車を盗まれてしまう・・・。自転車の行方を求めて歩き回る父と子の苦悩を通して、戦後イタリア庶民の生活をリアルに描いた。シンプルなストーリー、素人を役者に使い、オープン・ロケを主体にしたリアルな演出は衝撃的であり、その後の映画製作に多大な影響を与えた。

トップ1011~20位21~30位出典ページの先頭↑

■ 11~20位
順位 作品名
(公開年、国)
解説
11 「勝手にしやがれ」

(1960年、フランス)

勝手にしやがれ
ジャン=リュック・ゴダール監督。主演:ジャン=ポール・ベルモンド。 ゴダールの長編デビュー作で、ヌーベルバーグの記念碑的作品として知られている。フランソワ・トリュフォーが実話を基に原案を練った。プロットはあってないようなもので、場所から場所への移動とごく普通の出来事を大ざっぱにつなげることで、なんとかまとまりを保っている。
12 「レイジング・ブル」

(1980年、アメリカ)

レイジング・ブル
マーティン・スコセッシ監督。主演:ロバート・デ・ニーロ。 ボクシングのミドル級実在チャンピオン(ジェイク・ラモッタ)の自伝を基に製作。主演のデ・ニーロは、役作りのために体重を30ポンド(約14㎏)も増やし、見事な演技でアカデミー賞主演男優賞に輝いた。
13 「仮面/ペルソナ」

(1966年、スウェーデン)

仮面/ペルソナ
イングマール・ベルイマン監督。主演:リブ・ウルマン。 ベルイマンの作品の中でも生々しく、実験的な作品。主役に起用されたノルウェーの女優リブ・ウルマンは、ベルイマンのミューズとなり、9本の作品で主演。
「大人は判ってくれない」

(1959年、フランス)

大人は判ってくれない
フランソワ・トリュフォー監督。主演:ジャン=ピエール・レオ。 映画評論家から監督に転身したトリュフォーの長編デビュー作。彼の自伝的要素が盛り込まれた作品で、家庭に恵まれない13歳のパリっ子が非行に走る物語。世界の映画ファンを魅了し、トリュフォーは「ヌーベルバーグ」の騎手として知られるようになる。
「アンドレイ・ルブリョフ」

(1966年、ロシア)

アンドレイ・ルブリョフ
アンドレイ・タルコフスキー監督。主演:アナトリー・ソロニーツィン。 15世紀のロシアの修道士で放浪のイコン画家でもあったアンドレイ・ルブリョフの生涯で、精神的に大きな意味を持つ7つの出来事を、抽象的な映像美の巨匠が脚色を交えて描いた白黒の大作映画。
16 「ファニーとアレクサンデル」

(1984年、スウェーデン)

ファニーとアレクサンデル
イングマール・ベルイマン監督。主演:エバ・フレーリング。 アカデミー賞の常連であるベルイマン監督が、ブルジョワ一族を描いた自伝的要素の強い大作。1983年のアカデミー賞で、外国語映画賞などの4部門で受賞。
17 「七人の侍」

(1954年、日本)

七人の侍
黒澤明監督。主演:志村喬、三船敏郎。 日本映画に類を見ない大型アクション時代劇。日本のみならず世界の映画界を驚嘆させ、日本映画界の実力を海外に認めさせる効果があった。
18 「羅生門」

(1950年、日本)

羅生門
黒澤明監督。主演:三船敏郎。 平安京、京近郊の山中で起きた殺人事件。盗賊、殺された侍、侍の妻、目撃者のきこりの証言の食い違いによって、事件はそれぞれ異なった展開を見せる。斬新な構成、圧倒的な雨、カメラが初めて森に入ったと評された白黒映像の極致とも言うべき映像美。黒澤明を世界のクロサワへと飛躍させた記念すべき一作。
19 「バリー・リンドン」

(1975年、イギリス、アメリカ)

バリー・リンドン
スタンリー・キューブリック監督。主演:ライアン・オニール。 文豪サッカレーの原作をもとに18世紀ヨーロッパの貴族社会を流麗な映像美で再現した。1975年のアカデミー賞では、キューブリック作品の最多となる4部門を受賞した。
「奇跡」

(1955年、フランス)

奇跡
カール・ドライヤー監督。主演:ヘンリク・マルベルイ。 カイ・ムンク原作の戯曲を映画化。信仰心の問題に取り組んだ真摯な姿勢が評価された。抑制のきいた演出が結末の“奇跡”を感動的に盛り上げる。

トップ1011~20位21~30位出典ページの先頭↑

■ 21~30位
順位 作品名
(公開年、国)
解説
21 「バルタザールどこへ行く」

(1966年、フランス)

バルタザールどこへ行く

DVD(Amazon)→
人手から人手へと渡っていく一頭のロバを通して人間の内なる“悪”などを見つめた作品。 ベネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。

ロベール・ブレッソン監督は、ギリギリまで無駄をそぎ落としたストイックな演出で知られる。 職業俳優を使わずに緊迫感のある物語を作る独自の作風も称賛された。 崇高な映像美を追求し、「孤高の巨匠」と評された。

ブレッソン監督は寡作だった。1934年の監督デビュー以来、遺作となった83年の「ラルジャン」まで14作品しか撮らなかった。 本作のほか、数々の賞を受賞した「田舎司祭の日記」や、「スリ」「ジャンヌ・ダルク裁判」などの傑作で有名。
22 「モダン・タイムス」

(1936年、アメリカ)

モダン・タイムス

ブルーレイ(Amazon)→
天才チャップリンは、人間が機械に振り回され、苦しめられる時がくることをいち早く見抜いた。 それまでの作品の根底に流れていた「愛と涙」から飛躍し、 現代文明による人間性喪失の悲劇を描いた。 米国デトロイトの自動車工場で導入されたベルト・コンベア式の生産システムに着想を得たとされる。

チャップリンが製作、監督、脚本、主演、音楽の5役をこなした。 サイレント映画を貫いていたチャップリンだが、本作で初めて歌を唄った。 ただ、歌と効果音が入る以外はサイレント映画になっている。 パントマイムによる演技が見事。
「アタラント号」

(1934年、フランス)

アタラント号
29歳の若さでこの世を去ったフランスの監督ジャン・ヴィゴの唯一の長編。

映画史上、最も悲運に泣いた作品の一つと言われている。ヴィゴはこの映画を撮ったあと、病床に倒れた。直接編集にタッチできないまま、29歳の若さで早世した。

そして、業者を対象にした試写では、さんざんの評判だった。プロデューサーは配給会社ゴーモンの要求をのみ、映画は89分から65分に短縮された。モーリス・ジョベールの音楽も削られ、当時の流行歌「流れゆく艀」が挿入され、タイトルもこの曲名に変えられた。

しかし、年月が経つにつれて評価が高まり、いつしか、フランス映画の古典として語り継がれるようになった。フィルムは散逸していたが、後年発見され、1990年にようやく完全版の復元にこぎつけた。1991年には日本の映画館でも復元版が公開された。

夫婦の愛の物語。セーヌ川のはしけ船の船長と、ういういしい新妻が主人公。船の生活に退屈した妻が家出し、夫婦の間に波風が立つ。ワンカット、ワンカットが精巧に出来ている。映画の魔術にあふれた名作。
「サンライズ」

(1927年、アメリカ)

サンライズ
「ゲームの規則」

(1939年、フランス)

ゲームの規則
26 「黒い罠」

(1958年、アメリカ)

黒い罠
「狩人の夜」

(1955年、アメリカ)

狩人の夜
「アルジェの戦い」

(1966年、イタリア)

アルジェの戦い
「道」

(1954年、イタリア)

道
日本での初めてのフェリーニ作品。アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した。

主人公は、大道芸人。 野獣のような強靭な肉体の持ち主で、 欲情のかたまりのような男だった。 ある日、彼は虐待の末に病死させた妻の代わりに、 その妹を助手にする。 見返りとして、母親にお金を支払う。
30 「ストーカー」

(1979年、ロシア)

ストーカー
「街の灯」

(1931年、アメリカ)

街の灯
「情事」

(1960年、イタリア、フランス)

情事
「フェリーニのアマルコルド」

(1972年、イタリア、フランス)

フェリーニのアマルコルド
『道』や『甘い生活』を始め、幾多の名作を送り出したイタリア映画の巨匠フェデリコ・フェリーニが、自らの少年時代を振り返った逸品。フェリーニ独特の誇張にみちた映像イメージとノスタルジーが融合し、哀しくも温もりのある人間喜劇が構築されている。

トニーノ・グエッラの脚本とジュゼッペ・ロトゥンノの撮影、そしてニーノ・ロータの音楽まで、いずれもみごとなサポートぶりである。春に始まり春に終わる、四季で構成されているストーリーは、少年の成長と人の無常を巧みに織り込み心に残る。とりわけ豪華客船を見物する夏の夜のシーンは忘れ難い。

惜しくも1993年にこの世を去ったフェリーニだが、彼の作品群のなかでも甘く切ない輝きをもつものとして、これは永遠に記憶されよう。
「奇跡の丘」

(1964年、イタリア、フランス)

奇跡の丘
「ゴッドファーザー PART II」

(1974年、アメリカ)

ゴッドファーザー PART II
パート1が絶大な支持を集めたことに力を得たフランシス・コッポラは、この続編を作るにあたって自らプロデュースを買って出た。 前作で貫き切れなかった意思をここに晴らさんとの想いからだった。従ってコッポラは、バイオレンスに溢れたマフィアの抗争を描くことにより、ファミリーを通して、アメリカにおけるイタリア移民史を辿ろうとしている。 もちろん前作の流れをひいて、アルパチーノ演じるマイケルのドンとしてのその後が描かれるのだが、並行して若い日のビトーの姿が綴られていく。

ビトー役のロバート・デ・ニーロがアカデミー助演男優賞に輝き、メジャーな存在になったことも特筆に値する。コッポラの情感に満ちた堂々たる語り口。この作品がアカデミー作品・監督・脚色・美術監督・作品賞を獲ったのも納得がいく。
「炎628」

(1985年、ロシア)

炎628

■出典:
英映画協会の公式ページ(英語)

■文献(各作品の説明など):
世界シネマ大事典
DVDで見るアカデミー賞映画200
日本映画史〈4〉異った視点から 日本映画史年表 全巻索引 および主要作品目録
最新版 アカデミー賞 ([MOOK21]シリーズ)
日本映画ベスト200―青春の数だけ名画がある (角川文庫)
大アンケートによる日本映画ベスト150 (文春文庫ビジュアル版)
戦後生まれが選ぶ洋画ベスト100(文春文庫ビジュアル版)



参考記事

映画のデジタル保存(1999年1月、読売新聞)

フィルムの特性

「復元は、確実な撮影や現像の記録に基づいて」の声

デジタル技術による映画の修復、保存の可能性を探るシンポジウムが1999年1月13日、都内で開かれた。劣化を免れえないフィルムの保存方法として新しい技術の有効性が確認される一方で、オリジナル性の保持や修復費用の負担などの課題が指摘された。

現像所の出火でネガを焼失
小津安二郎監督の「東京物語」を修復

シンポジウムは東大総合研究博物館が、小津安二郎監督の「東京物語」(1953年)を修復したのをきっかけに開かれた。現在映画館で上映したり、ビデオで見ることができる「東京物語」は、フィルムの傷みが激しく、コントラストも鮮明でない。そもそも、現像所の出火でネガを焼失し、現存するフィルム自体、ポジからおこしたネガから複製したという経緯もある。今回、本編より質のいい予告編フィルムが発見されたのを機に修復が行われた。

100年は保存可能?

映画のフィルムは100年は保存可能といわれるが、実際は、1930年代以前のフィルムの90%、1950年代以前になると50%が失われており、小津作品の撮影助手を務めた川又昂(たかし)氏も「松竹作品4000タイトルのうち、原形をとどめているのは2000本」と語った。

デジタル情報への変換で劣化を防ぐ
コピーしたフィルムの品質維持も

化学的処理を施すため、フィルムの退色やノイズの発生は不可避とされてきたが、デジタル情報への変換で、劣化を防ぐだけでなく、コピーしたフィルムの品質維持も可能になる。

資料の保存施設としてのアーカイブ
1980年代、アメリカでは白黒映画を人工的に着色

しかし、一方で、アナログ的なメディアであるフィルムをデジタル化することで生じる問題も指摘された。その一つがオリジナル性の喪失の問題。1980年代、アメリカでは白黒映画を人工的に着色したため、映画界から強い拒否反応が起こったが、東京国立近代美術館フィルムセンターの岡島尚志氏も「撮影当時の色がよくないからといって、新しい色をつけることは、資料の保存施設であるアーカイブとしてはあってはならない」と明言した。「東京物語」の修復が実現したのは、よりオリジナルに近いであろうフィルムの存在が確認されたからであり、「復元は、確実な撮影や現像の記録に基づいて行われるべきだ」と指摘した。

○年○月の修復と承知していれば・・・

しかし、現実には制作年度の古い映画ほど、オリジナルフィルムが残存しているケースは少なく、蓮実重彦・東大学長は「修復されたものを見ると、かつて見たカラーと全く違う場合がある。しかし、オリジナルが残っていなければ、違うといいきれない。○年○月の修復と承知していれば、それは映画の宿命の一つではないか」と述べた。

1992年にディズニーが「白雪姫」を修復
機材をフル稼働して18週間、700万ドル

また、デジタル処理にかかる費用と時間も大きな課題だ。1992年にディズニーが「白雪姫」を修復した際には、機材をフル稼働して18週間、700万ドルかかった。日本ではフィルムセンターがアーカイブの役割を担っているが、「ばく大な費用を保存、修復にかけるコンセンサスはできていないし、今後も期待できない」(蓮実氏)。岡島氏も「長期的な財産として考えると、公的な管理下におくのがよりよい。納本制度のような網羅的方法しか、収集保存の方法はない」というが、文化保存活動としての動きは鈍い。

映画は20世紀の貴重な文化遺産

わずか100年の歴史とはいえ、映画は20世紀の貴重な文化遺産である。しかも、作品の生命が「再生」することにかかっている以上、古びることは避けられるべきだ。修復、保存の動きが広がるためには、まず、このようなフィルムの特性に対する理解を得ることが必要だろう。

NHKが映像図書館(1999年5月)

デジタルで鮮明に

「使用済みビデオ」保存センター建設へ

「送りっ放し」から「文化財へ」--。放送済みのニュースやドラマなどの映像をデジタル化して体系的に保存する「映像アーカイブセンター」が、NHKによって建設されることになった。映像素材の有効活用を図るとともに、将来は図書館のように、古い番組を一般人でも閲覧できるような、開かれた施設を目指している。

アーカイブとは

保管庫

ビデオ180万巻収容 「アーカイブ」とは「公文書の保管所」のこと。民放各局も自前のビデオテープ保管庫を持っているが、NHKの映像アーカイブセンターは180万巻を収容、映像の集積施設では国内最大級になる。

建設予定地は、埼玉県川口市内の旧NHKラジオ放送所跡地の一部。面積約1.6ヘクタールの敷地に、5-6階建て、延べ床面積1万1千平方メートルの施設を建てる。総事業費は80-100億円の見通しで、1999年度内に具体的な事業計画を決め、テレビ放送開始50周年に当たる2003年春のオープンを目指している。

映像素材は、ビデオテープやフィルムで約58万巻

NHKが現在、所有している映像素材は、ビデオテープやフィルムで約58万巻に上る。大部分はNHKが放送したものだが、資料用に外部から購入した戦前のニュース映画などもあるという。東京・渋谷の放送センター内だけでは収容しきれず、静岡・浜松と山形・鶴岡の支局と合わせ、3か所に分散させている。

光ファイバーで送信

映像アーカイブセンターの最大の特色は、保管映像をすべてデジタル化すること。画質の劣化が防げるだけでなく、光ファイバーを通じて、離れた場所にも瞬時に鮮明な映像を送ることができる。

突発的なニュースにも対応

例えば、ある資料映像を番組中で利用する場合、現在ならテープを保管所からスタジオまで運ばなければならず、川口市から渋谷までだと一時間はかかる。だが光ファイバー経由なら、使いたい映像をすぐに取り寄せることができ、突発的なニュースの報道でも対応が可能だ。

公開ライブラリー
図書館のように視聴できる

一般の閲覧施設も また併設予定の「公開ライブラリー」も、文化的に意義のある施設だ。映画と違い、ビデオ化される番組は、ごく一部。大部分は「放送が済めば終わり」で、視聴者が再び楽しむ機会はほとんどない。ライブラリーでは、図書館のように収蔵番組を視聴できるサービスも考えられており、番組を「映像の文化財」と位置づける狙いもある。

映像アーカイブセンター

建設予定地周辺は、映像事業を核とした産業拠点として、埼玉県が整備する構想があり、県の施設としてスタジオやホールが、映像アーカイブセンターに併設される。NHKでも「地域振興や、放送文化の社会的還元につながるよう、開かれたセンターにしたい」(漆間治・放送事業局権利情報センター副部長)と話す。

建設費超すコピー費

問題は、フィルムやアナログテープをデジタルコピーするのに、費用と時間がかかること。コピー単価は1巻当たり約2万4千円で、約58万巻全部を処理すると約140億円に達し、建設費を軽く超える。

1997年度からコピー作業

また、すでに1997年度からコピー作業を始めているが、年間に処理できるのは1万本程度で、今後スピードアップしても「全部終えるのに20年以上かかる」(同)という。

著作権処理もネック

著作権処理も、大きなネックになっている。複製保存や閲覧視聴のたびに、出演者から個別に許諾をもらう必要があるからだ。

出演者も団体との包括的な契約を

漆間副部長は「著作権は、デジタル時代の放送界で最重要のテーマだが、未整備の部分が多い。音楽の使用料を日本音楽著作権協会(JASRAC)が一括処理しているように、出演者も団体との包括的な契約が結べるよう、交渉していきたい」と話している。

映画監督ら「待った!」 8ミリフィルム生産終了へ(朝日新聞、2006年10月)

2008年9月で現像停止

デジタルビデオ時代で

「私にも写せます」のCMで人気を集めた富士フイルムの8ミリムービー「シングル8」のフィルムが2007年3月で販売を終了し、現像も2008年9月で停止する。デジタルビデオ時代で需要が低迷し、設備を維持できなくなったためだという。アマチュアからプロまで幅広い層に親しまれたメディアだけに、映画関係者らから存続を求める声が上がっている。

シングル8
コダック社のスーパー8

シングル8は1965年に発売。フィルム交換が簡単なマガジン方式や、手軽な操作性が初心者にも受け、コダック社のスーパー8とともに家庭用8ミリカメラのブームを生んだ。

映写機は1980年代初頭に生産停止
フィルム販売数1260万本→約1万本

だが、デジタルビデオの登場で市場は急激に縮小。カメラや映写機は1980年代初頭に生産停止し、現在は中古品しか手に入らない。フィルムの販売数も1973年の1260万本をピークに、2005年は約1万本まで落ち込んでいる。

「技術者も限られる」と富士フイルム

「他社と互換性がないフィルムでもあり赤字覚悟で供給体制を維持してきたが、生産・現像機器の老朽化が限界にきた。現在の需要では設備投資も困難。技術者も限られ、安定した品質を保証できない」と富士フイルムは撤退の理由を説明する。

フィルム文化を存続させる会
大林宣彦、大森一樹監督

これに待ったをかけようと、大林宣彦、大森一樹監督らが発起人となって「フィルム文化を存続させる会」を2006年6月に結成した。生産を維持する方策を話し合い、上映イベントなどで一般の理解を求めていくという。映画、テレビ、CMなどのクリエーターや映像作家、研究者ら約300人が賛同人に名を連ねる。

ユーザーとメーカーの連携

「デジタル時代のフィルム文化の危機を象徴する出来事。企業と対立するのではなく、ユーザーとメーカーの連携で、多様な表現手段を守る道を探りたい」と、事務局の水由章さん。富士側も可能な限り協議に応じる方針だ。

自主映画や教育現場で根強い人気
「欧米では映画学校の16ミリで出発するが・・・

ユーザーの大半がビデオに移行したいまも、8ミリフィルム特有の映像に愛着を持つ人は多い。特にシングル8は、コマ撮りや多重露光など多様な撮影方法が可能なことから、自主映画や教育現場で根強い人気を保つ。「欧米では映画学校の16ミリで出発する監督が多いが、日本では家庭用のシングル8が映像製作のすそ野を広げ、多彩な才能を育んだ」と映画評論家の大久保賢一さんは話す。

山田勇男、山崎幹夫らの映像作家
「20世紀ノスタルジア」の原将人監督

山田勇男、山崎幹夫ら、いまもシングル8で新作を撮り続ける映像作家もいる。「20世紀ノスタルジア」で知られる原将人監督もシングル8で長編を撮影中。「パソコンで編集すれば8ミリを劇場用の35ミリに転換するのも簡単。ビデオと8ミリの融合といった表現もできる。ビデオかフィルムかの二者択一ではなく、多様な選択肢を残すことが豊かな文化を生むのではないか」と語る。

8ミリ映画の上映

「存続させる会」の第2回集会が2006年11月24日、東京・水道橋のアテネ・フランセ文化センターで開かれる。手塚眞監督や撮影監督の芦澤明子さんらによるシンポジウムと8ミリ映画の上映を予定。詳細は公式ブログ(https://filmmover.exblog.jp)で。

若者向け上映会は盛況

8ミリフィルムは、デジタルビデオ世代には逆に新鮮なのか、各地で開かれる若者向けの上映会は盛況だ。

ぴあフィルムフェスティバルで黒沢清監督特集

「ぴあフィルムフェスティバル」はこの夏、歴代入選作を集めた大型回顧特集を都内で開催。石井聰亙、松岡錠司、塩田明彦、犬童一心、矢口史靖ら人気監督の原点となった8ミリ作品を上映した。黒沢清監督の8ミリ作品特集も若いファンが会場を埋めた。

TAMA CINEMA FORUM

多摩市の「TAMA CINEMA FORUM」では2006年11月25日、井口奈己監督の「犬猫」、長崎俊一監督の「闇打つ心臓」など商業公開作品の原形となった8ミリ映画や新作を上映する。

映画保存協会

家庭に眠る8ミリ映画を見直す活動も。市民グループ「映画保存協会」は2006年8月の第2土曜日に世界各地で開催される「ホームムービーの日」を3年前に日本に紹介。今年は東京、名古屋、弘前、長野、京都、大阪の6都市で上映会を開いた。公式サイト(https://www.filmpres.org)